2016/11/01

【学問のミカタ】言葉

 「現代言語学」「英語学概論」を担当する中村嗣郎です。

 11月のテーマは「言葉」。

 言葉と聞くと、「ともだち」「花束」「涙」といった単語そのものを指すこともあるし、日本語、英語、中国語、フランス語といった個々の言語を指すこともあります。また「言葉」から、意味とかコミュニケーション、心といったものを連想する人もいることでしょう。

 今回は「言語」についてお話しします。具体的には、日本語の「ら抜き」言葉、英語の動詞の活用、言語の音、言語と人間、の4つを取り上げます。気になるトピックだけ読んでもらっても構いません。

 「ら抜き」言葉

 少し前、文化庁が平成27年度『国語に関する世論調査』の結果を発表しました。「食べることができる」を意味する表現として、「食べられる」とするか「食べれる」とするかという「ら抜き言葉」の問題に関して、ら抜き言葉が多数派になったという結果で、話題になりました。

 正確には、「今年は初日の出が見られた/見れた」と「早く出られる/出れる?」で、後者の「ら抜き言葉」を使うと答えた人が前者よりも多かったということでした。これは前回調査よりも増えていて、そうした変化は多くの人が予測したものです。今後ますます、ら抜き言葉が浸透していくことでしょう。

 書き言葉では、ら抜き言葉にまだ抵抗があるようです。ら抜き言葉が話されているのにテロップは違っている例が観察されます。「やっと食べれました」と言っているのに、「やっと食べられました」と書かれてあるといった具合です。

 ら抜き言葉は、ある観点から見ると合理的です。

 1つには、ら抜き言葉「食べれる」を使わず「食べられる」を使用した場合、それが可能の意味なのか、受身の意味なのか(例「ピノキオは鯨に食べられた」)、尊敬の意味なのか(例「もう食べられましたか? お皿をお下げしてよろしいですか?」。「召し上がる」「お食べになる」でOKです)、使われる状況を考えないと意味がはっきりしません。その点、「食べれる」を使うと、可能の意味に絞られるという利点があります。

 さらに、動詞の活用という点から見て、文法体系が簡潔になります。日本語の動詞は大きく2つに分かれますが、これは命令形を見ると明らかです。

「食べる」「起きる」
 tabe-ru oki-ru
 tabe-ro oki-ro
 tabe-nai oki-nai

「飲む」「眠る」
 nom-u nemur-u
 nom-e nemur-e
 nom-anai nemur-anai

 命令形が「食べろ」「起きろ」のように「ろ」で終わる動詞と、「飲め」「眠れ」のようにエ段の音で終わる動詞があります。それぞれ活用させると「食べる」「起きる」は変わらない部分が、tabe-, oki- と母音で終わっています。それに対して「飲む」「眠る」は nom-, nemur- と、子音で終わっています。ここから前者を母音動詞、後者を子音動詞と呼ぶことがあります。ら抜き言葉は基本的に母音動詞であることが条件です。

 ら抜き言葉を使うと活用の体系がどう簡潔になるのでしょうか。

 命令形の場合、母音動詞には -ro をつけ、子音動詞には -e をつけるという風に別々に考える必要があります。しかし、他の活用については、日本語の音が「子音+母音」を基調としていることを考慮すると、2種類の動詞を区別する必要がなくなります。

 辞書で引く形(基本形)は、-ru をつけると考えるだけで説明できます。nom-ru, nemur-ru になってしまうのですが、日本語では子音の連続を嫌うために「2つ目の子音を消す」と考えると、nom-u, nemur-u という形が導けます。否定の場合は -anai がつくと考え、tabe-anai, oki-anai は母音が連続するので「2つ目の母音を消す」と考えると、tabe-nai, oki-nai が導けます。

 それでは、ら抜き言葉はどうなるでしょうか。従来は「食べられる」「起きられる」が主流でした。

 tabe-rare-ru oki-rare-ru

 これを子音動詞の可能形と比べて見ましょう。

 nom-e-ru nemur-e-ru

 最後の -ru は上で見たものなので、母音動詞と子音動詞の対立は、-rare- と -e- になります。この2つについて共通した形を想定して一括して説明することは無理です。それに対して、ら抜き言葉だとどうなるでしょうか。

 tabe-re-ru oki-re-ru
 nom-e-ru nemur-e-ru

 可能をあらわす形として-reを仮定すると、tabe-re, oki-re は問題ありません。加えて、nom-re, nemur-re は子音が連続するため2つ目の子音を消して nom-e, nemur-e となると予測できます。このように、ら抜き言葉は活用の体系をスッキリとしたものに変えていると考えることができます。

 言語はあたかも生き物であるかのように変化する性質をもっています。

 ら抜き言葉に似たものとしては、「レタス(れ足す)」言葉、「さ入れ」言葉と呼ばれる動詞活用も観察されています。

 英語の動詞の活用

 動詞の活用というと、不規則動詞を暗記させられた記憶がよみがえるかもしれません。take – took – taken, buy – bought – bought, come – came – come, put – put – put, go – went – gone を必死で覚えた人もいるでしょう。では、英語の活用は不変なのでしょうか。

 例えば、neak(こっそり入る)の過去形は規則的な sneaked とされますが、実際には snuck を使う人もいます。このニュース記事の見出しでは、標準的な sneaked が使われていますが、実際の発話(第8段落目の引用)には snuckが登場します。

 英語の動詞の活用も必ずしも不変ではなく、方言や個人差が存在します。

 get の過去分詞として、got よりも gotten を好む地域や人が存在します。実際、標準的なdrink – drank – drunk ではなく、drink – drunk – drunk とする地域もあります。同様に、標準的な drag – dragged – dragged の代わりに、drag – drug – drug、標準的な see – saw – seen の代わりに、see – seen – seen、標準的な do – did – done の代わりに、do – done – done を使用する地域や人が存在します。

 外国語として英語を学ぶ場合、標準的なパターンを身につけておくのが無難でしょう。もちろん、特定の地域で暮らしたりする場合は、特別なパターンを覚えておくといいのかもしれませんが、わざわざ一部の地域や人にしか通じない表現を覚えることもないでしょう。現実問題として、イギリス英語とアメリカ英語はずいぶんと違うところもありますから、ある段階に達したら、いろいろな英語を意識するとよいと思います。

 言語の音−−「眼」でなく「口」を見て話しなさい

 人間が使う自然言語には、音声を利用する「音声言語」と、手の動きや顔の表情などを利用する「非言語」があります。

 音声言語は音を利用すると書きました。では私たちは音声言語を使うとき、純粋に音を聞いているのでしょうか。

 面白い実験がずっと昔におこなわれ、興味深いことがわかりました。この動画で私たちも体感できます。英語のナレーションですが、要点は女性が何と言っているかというものです。具体的には、バなのか、ファなのか、ダなのか、ガなのか、画面を見ながら自分で聞いてみてください。

 実は、上の動画では口の形が実際の音の口の形ではありません。ちょっとした技術でそうした合成ができることは想像できますよね。

 発声の仕方と音声の関係を見ると、例えばバ行、パ行、マ行は、くちびるを閉じたまま言うことはできません(腹話術師のいっこく堂は例外)

 実験結果として報告されたのは、口の形という視覚的情報が加わると実際の音と違った音が聞こえるということでした。現実にはそうした状況は起こりませんから、これが意味することは、音声という聴覚的情報を認識するときに視覚的情報を利用しているということでした。

 この現象は「マガーク効果」と呼ばれます。マガーク効果は英米人には顕著ですが、不思議なことに、日本人にはそれほど見られません(動画はバの音をガの口の構えで流したものですが、ファやダに聞こえます。それがマガーク効果です)

 最近、そのことが科学的に厳密な形で裏づけられたとの研究報告がありました。「耳を澄ませて声を『聴く』日本人」です。言語の音声を聞くという極めて基本的な行為が言語的、文化的な影響を受けて異なっているとするならばそれは驚きですね。

 言語を使うヒト

 人間、すなわちヒトという種は、言語を使用するという点で他の動物とは異なっています。それでは、ヒトのどのような能力(特性)が言語を可能にするのでしょうか。多くの研究者がさまざまな可能性を示唆しています。模倣(人まね)、ひとりでなく一緒に見ること(指差し)、他者理解(共感)が、例えば、挙げられます。

 チンパンジー「アイ」の研究で知られる松沢哲郎氏は、ヒトがもつ独特な特徴の一つとして「教える」ことを挙げています。ヒトはすべての点において優れているわけではありません。松沢氏の講演録「想像するちから:チンパンジーが教えてくれた人間の心」にある動画7を見てください。アイの息子「アユム」の記憶力に勝つ自信のある人はいるでしょうか?

 ヒトの言語を本質的に理解するには、人間とは何か、も見ていく必要があります。そのためには人間以外の動物についても知る必要があるし、生物そのものに関する知識も重要になります。

 最後に問題です。

 目の見えない人は自転車に乗って自由に動き回れるでしょうか。険しい岩山を登ることはできるでしょうか。答えはイエス。これを見てください。

 ヒトがもつ可能性は私たちの想像を超えているのかもしれません。

 それでは。Ta-ta.

0 件のコメント: