2016年1月29日金曜日

「人生の約束」

1/9に封切られた「人生の約束」は、石橋冠さんの監督デビュー作品です。

先日、東経大の元教員で彼と懇意だった人が私の研究室にやってこられました。「映画館は年寄りが多かったのだけれど、若い人にもぜひ見てほしい」と、「人生の約束」のチラシを置いていかれたのです。

石橋さん(1936年、札幌市出身)はコミュニケーション学部ができた翌年から2000年まで「メディア制作ワークショップ」を担当されました。

当時のようすを桜井哲夫先生にうかがったところ、石橋さんはつねづね「コミュニケーション学部から映画監督が育ってくれたらうれしい」と口にされていたそうです。寡聞にして、そのようなニュースは届いていませんが、卒業制作では、毎年、映像作品が作られています。石橋さんの撒いた種は確実に育っています。

「人生の約束」
 出演:竹野内 豊、江口洋介、松坂桃李、優香、小池栄子、高橋ひかる、美保 純、市川実日子、立川志の輔、室井 滋、柄本 明、ビートたけし、西田敏行。

2016年1月20日水曜日

スポーツの授業をふりかえる


 スポーツ担当の遠藤愛です。

 「スポーツ・コーチング論」、遠藤「マナゼミ」(演習)の今年度のイベントは、今月末のスポーツ大会を残し、すべて終了しました。

 2015年度は、6月西武プリンスドームでの西武対巨人戦、7月スポーツジャーナリスト、フローラン・ダバディ氏による講義、8月WOWOW辰巳放送センター見学(上の写真)、1月は大相撲観戦(下の写真)、WOWOW編成局企画部長の口垣内徹(くちごうち・てつ)氏による講義を行いました。

 スポーツを学ぶマナゼミは毎週、教室でスポーツに関する文献の講読、遠藤自身の講義を経て、各学生が設定したテーマでの研究ノートの作成とプレゼンテーションを行っています。スポーツは机の上だけでは決して学べないので、「見る」「する」を積極的に取り入れています。

 7月に来学して下さったフローラン・ダバディ氏は、スポーツ界を揺るがすスキャンダルとなっているFIFA汚職事件を背景から深く掘り下げて講義されました。

 通訳を介さず自分の言葉で取材した内容に基づくダバディ氏の講義は、情報が溢れる今日において、ものごとの真贋を見極めるための重要なヒントになりました。

 ダバディ氏は2016年度、コミュニケーション学部非常勤講師として、「データ分析ワークショップ」の中の一科目を担当します。スポーツジャーナリズムに興味のある学生向けの内容です。

 1月18日(月)、あの積雪で3時間かけて出社した会社での会議を終え、昼食をとらずに国分寺まで駆けつけてくださった口垣内氏。氏は世界最高峰のものを届けるという理念に基づいた番組作りのあり方、そしてすぐに利益を見込めない場合でも‘育てる’という意識を持って伝え続けることの大切さを語ってくれました。

  「作られていないスポーツの試合はつまらない内容になることもたくさんある。でも、その中に‘この瞬間に立ち会えてよかった’というものがある」。

 私はかつて、WOWOWで氏と一緒にテニスのグランドスラムを放送していました。 “立ち会えてよかったその瞬間”を思い返すと、息を止めて見守るラリー、手から滲み出てくる汗、会場の歓声、悲鳴、どよめき、うねり。そして、その瞬間に立ち会えたことへの感謝と感動を今でも感じることができます。

 氏が直接携わっているパラリンピックのドキュメンタリーについても「福祉番組を作るつもりはない。彼らは世界最高のアスリートであり、その彼らのストーリーを伝えたいし、伝える価値がある」と語りました。

 「育てる」としか書かれていないスライドなのに学生たちは一生懸命メモを取り、終了後はほとんどの学生が質問の手を挙げるぐらい、とても有意義な時間になったと思います。

 口垣内氏の講義も90分ではとても足りなかったので、リオ・パラリンピックの現地取材を終えた「リオ後」での講義をお願いしました。

 来年度は今まで行っていない種目の観戦や学生自身が企画・実行するイベントも取り入れてみようと思っています。

 マナゼミが毎年こうしていろいろ活動できるのは、いろいろな方のご協力があってこそです。皆さまに感謝の気持ちを持ちながら、来年度も学生たちと共に、好奇心旺盛で活発なゼミを目指します。

2016年1月5日火曜日

作品展『シェイクスピアズダイアログ2015 in 横浜 』

謹賀新年

 昨年の秋、夜景の美しい観光スポット横浜みなとみらい地区を背景に、光る杖を使ったパフォーマンスとワークショップを行いました。それらの記録を通して制作した学生作品を、大判プリントアウトして展示する他、映像資料、メーキングの様子も展示します。
作品展と連動するwebミュージアム プレオープン!


2016年1月8日(金)-1月13日(水)

12:00〜19:00開廊

1月11日(月・成人の日)休廊

 

★オープニングイベント(内覧会)&パーティ
1月7日(木)17:00~18:30
東京経済大学コミュニケーション学部 教員トーク

 

国分寺くるみギャラリー                                                                         

〒185-0012 東京都国分寺市本町2-18-16
TEL&FAX 042-312-2963



2016年1月1日金曜日

【学問のミカタ】「1月1日」と「お正月」

けましておめでとうございます
桜井哲夫

石井研堂(いしい・けんどう、1865 - 1943)という人物がいる。編集者・著作家である。明治文化史研究に精力をそそぎ、政治学者の吉野作造らと「明治文化研究会」の創立に関わった。

 彼の代表作が『明治事物起原』で、明治41(1908)年1月1日に初版が刊行されている。その後、増訂、改訂版がいくつも出たが、以下で使用するのは、ちくま学芸文庫版(全8巻、1997年、品切れ)である。

 明治期に日本の政治、経済、社会風俗が大きく変わったのだが、この本は変動の出発点を執拗に追求して記述しているために、貴重な資料集として知られている。

 正月元日に初版が出版されたこの本に出てくる「正月」をめぐるお話をいくつか書き出してみよう(以下、出典は、ちくま学芸文庫の各巻)

「元旦の唱歌」(第3巻収録)

 明治24(1891)年、6月17日、小学校の祝祭日の儀式についての規定をもうけたのだが、その中に「教員、生徒が祝祭日に唱歌を合唱すること」という項目があった。何を歌うのかは決めていなかったので、あわてて10月20日に祝祭日の歌を決める委員会(祝日大祭日歌詞及楽譜審査委員会)をつくって「君が代」をはじめとして12曲を決めたそうである。

 そして1月1日の歌は「年の始めの例(ためし)とて 終(おわり)なき世のめでたさを 松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに 祝(いお)う今日こそ楽しけれ……」(歌の題名「一月一日(いちげつ・いちじつ)」)に決まった(作詞・千家尊福(せんげ・たかとみ、出雲大社の宮司)、作曲・上真行(うえ・さねみち、東京音楽学校教授))

 明治26(1893)年に、文部省によって「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表されている。だが、正月のテレビの新春番組でメロディが流れることはあっても、今ではこの歌をどれだけの大学生が歌えるだろうか。

 どちらかというと、この歌よりは「お正月(東くめ作詞、滝廉太郎作曲)のほうが有名ではないだろうか。こちらなら、誰でも歌えるだろう(♪「もういくつねるとお正月、お正月には凧あげて……」)。この歌は、明治34(1901)年に出版された『幼稚園唱歌』でおおやけにされた。

 滝廉太郎(たき・れんたろう、1879 - 1903)は、「荒城の月」で有名な作曲家だが、さて作詞した「東くめ」(ひがし・くめ、1877 - 1969)という女性をご存じだろうか。

 この女性は「鳩ぽっぽ」も「雪やこんこん」も作詞しているのだが、一般的にはほとんど知る人はいないかもしれない。この人は、東京府立高等女学校(現:東京都立白鴎高等学校・附属中学校)の音楽教員をしていた女性で、東京音楽学校(現:東京芸大音楽学部)で2年後輩の滝廉太郎と組んで童謡を作っている。

 作曲者の滝は、明治36(1903)年に夭逝している。しかし、彼女は昭和44(1969)年まで長生きしたので、曲の著作権は切れてパブリック・ドメインに入っているが、歌詞のほうだけ2019年まで著作権(作者の死後50年)が存続している(だから、ここですべては引用できない)という不思議な運命の歌である。

 閑話休題、余計なことだが、「元旦(がんたん)」は1月1日の朝のこと、「元日」はその日全日のこと。今ではごっちゃになってしまっているようだが。

「年賀状特別扱いの始め」(第5巻収録)

 年賀状も若い世代では、メールですませるようになってきてしまい、年々年賀状の販売枚数は下がる一方だ。さて、年賀状が元日に届くためには、12月25日までに出しなさい、とされている。このような年賀状の特別扱いというのは、いつから始まったのだろうか。

 『明治事物起原』によれば、年末年始に集中する年賀状のために混乱するので、これを防ぐべく、12月15日から年賀状投函を受け付け始めた。そして、これにさっさと1月1日の消印を押して元旦に配布することになったのは明治39(1906)年末からなのだそうである。意外に遅かったのですね。 

 ついでなので、年賀状の発行枚数の推移を調べると、近年のピークは2003年の44億5936万で、2015年8月31日発表の発行推定値によれば、2016年度用は30億2285万枚らしい。一人あたりの投函数は、2003年には34.9枚、2015年は23.8枚なのだそうだhttp://www.garbagenews.net/archives/2114695.html参照

「新年宴会の始め」(第7巻収録)

 明治5(1872)年正月5日、6日に天皇が宮中に多くの高級役人を召集して新年宴会をしたのが始めだそうである。明治8(1875)年からは、宴会日が5日と決まって、以後5日に開催されるようになった。当然ながら、第二次大戦後、廃止になっている。

 なお、明治6(1873)年に、12月29日から1月3日までを官庁の年末年始休暇にすることが決められたようで、役人でも下々の新年宴会は期日が決まっていたわけではなかったようですね。